ほんの十日程前、新宿に大叔母の見舞いに行った
足が弱った叔母と母を車に乗せ、仕事の前に病院まで連れて行く
母と叔母の二人がとても可愛がってもらっていた人
部屋に入ると母を見て驚き、僕を父と勘違いしたようだ
その痩せこけた頬と鼻に付けられた酸素吸引チューブが痛々しく
記憶に無い人だと思っていたのだが
顔を合わせると、記憶の底から何かが突付く
あっ、知ってるこの人・・・
僕は軽く会釈をして、病室の片隅から彼女らを見ていた
その時脳裏に過ぎったのは大叔母達三人の写真を撮る事だ
僕は愛用のコンパクトカメラを腰のケースに入れ携帯していた
でも大概は病床の姿は皆、記録に残すのは嫌がる
特に女性は・・・
しかも書いた通りの痛々しい姿だ
こう云う写真を撮ることは非常に難しい、人の心の在り様が難しいから。。。
結局僕は写真を諦め、食事をし始めた大叔母に挨拶して駐車場へ
そして昨日、大叔母は亡くなった
痛々しい中にも、身内と会う喜びからだろうか
こちらが驚く位元気で、饒舌だった
食事に至っては、額に汗し鬼気と迫る真剣さがそこにはあった
食べるって事が、生きるって事に繋がっている・・・漠然とそんな事が頭に浮かぶ程に
あの時、果たして撮っておくべきだったのだろうか
こう云う判断は非常に難しい
しかし、いつも思うことが一つある
写真家だからこそ撮らない、或いは撮るべきではない時があると
今回がそうだったかどうかは正直分からないけれど
最後に一目会えた事には感謝している
大叔母の冥福を祈ります
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