2月17日、日経新聞朝刊の春秋より抜粋
以前の気象年鑑には、特定の天候が現れやすい「特異日」の表が載っていた・・・、とある。2月17日は王子稲荷の参拝についてブログに書いたが、この日がちょうどその特異日にあたっていた。それによると17日の天気の傾向は雪。
その日のブログに載せた写真もちょうど一年前頃に撮影した雪景色だ。僕は王子に向かう根岸線の中で天候について考えていた。駅を降りると外はすこぶる寒く、何となく雪を予感させる外気温と空模様だ。
残念ながら、日が落ちて降って来たのは雨。あ~っと思う。春秋によると特異日には科学的根拠は無いらしい。が、僕達の中に特異月感覚はあると思う。例えば、受験月の二月は雪。そんなアバウトな感覚だけれども、季節感としてのイメージは皆持ち合わせているだろう。
今さら温暖化がどうのこうの言うつもりも無いが、季節を通して実感する。何か違う・・・と。確かに温暖化によって地球上の生命体には影響があるだろうけれど、地球そのものに至っては刹那の変化に過ぎないだろう。
地球がどうこうではなくて、人類が死滅・・・だ。地球は恐らく、擬人化してもしょうがないが、ちと暑いなぁ~あれれ?うようよしていた奴らが居なくなったな~位の感覚では無かろうか。日本の四季が無くなるのは寂しい、しかしこの人類の向かう方向に身を任せて行くのも一つの選択肢だと思う。
仮に三輪・江原氏の言う輪廻転生があって、将来自分達が生まれ変わって来るのなら、その時に亜熱帯の日本を味わうのも自分なのだろう。そうして若き自分達は昔の己に文句の一つも言うのだろう、もっと将来を考えてくれれば良かったのに・・・。
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